深夜に響く歌声

深夜に響く歌声

彼女は、たまたま出張で、ある県にやってきた。

 

出張なので、安く泊まれる古いビジネスホテルにしたのである。

 

ところが、泊まる予定だった部屋は、ホテル側のミスでブッキングしてしまい、「この部屋しか空いていないのですが・・・」と、なぜか申し訳なさそうな顔で、一部屋だけ空いている部屋に案内された。

 

その部屋は家族連れでも泊まれそうな広いツインルームで、壁紙や調度品も全て新しい。
「えっ?本当にこの部屋に変えてくれるのですか?」と思わず聞いたほど。
少し嬉しくなってしまった。なにせ、バスルームも広い。

 

早めの夕食をとり、のんびりバスロームにこもり、広いベットに潜り込んだ。
すぐ、ウトウトし始めた。ところが、かすかに子供の歌声が聞こえてくる。
少女なのか少年なのかわからない声。
もしかして、テレビを消し忘れたのかも知れないと思い、がばっと起き上がり、テレビをみた。

 

テレビは消えていた。

 

少し繁華街から離れているホテルなため、窓の外も静か。廊下も静か。気のせいなのか。

 

気のせいだと思い込み、また、眠りにつこうと、ベットに戻った。
しばらくすると、使っているベットではない、空いているベットから、か細い歌声が、また聞こえてきたのだ。まるで、そのベットに腰かけて、歌っているように聞こえる。

 

彼女は飛び起きて部屋の電気を付けた。

 

誰もいない。

 

部屋の中は、どんよりした空気が充満していた。ちょうど、大雨の日のように、湿っぽくて息苦しささえ感じる。眠る前は、そんなことはなかったはず。

 

この部屋は何かおかしい。

 

そう思ったとき、耳元で、またあの歌声が聞こえた。

 

彼女は部屋を飛び出した。もちろん、寝間着で部屋を出るのはマナー違反と知りつつ、それでもフロントに走った。

 

「部屋を変えてください。あの部屋で、あの部屋で子供が歌っているのです。」

 

「歌声ですか・・・・」

 

「そうです。隣のベットからも、耳元でも。電気を付けても、だれもいない。テレビも消している。あの部屋何か変です!」

 

フロントの男性は、複雑な面持ちで、誰かに電話をかけた。

 

電話が終わると、「急遽、キャンセルになったお部屋がありますので、ご案内いたします。」

 

彼女は他の部屋に案内され、荷物はホテルのスタッフが運んでくれることになった。あの歌声は何だったのか、気になって、別の部屋に案内されるときに、ホテルマンに訊いてみた。

 

「う~ん、いやぁ」と話しづらそうにしていた。ここだけの話にしてくれますか」と前置きをして、話し始めた。

 

「あの部屋で、一家心中があったんですよ。でも、子供は生きていたんです。薬は吐き出して、死んだふりして。両親が死んでから、一人でずっとベットに座って歌っていたんです。それはそれは小さな声で。あの光景、よく覚えていますよ。最初に発見したのが私ですから。

 

「その後、たまに、あの部屋に泊まった方が、小さな声で歌声が聞こえるという方がいるのです。そう、お客様のように。泊まった方、全員というわけではないのですが。ほんとに不思議ですよね。その子は死んではいないのです。」

 

翌朝、彼女は、すぐホテルを出た。確かに自分から訊いたのだけど、客にそんな話をするホテルのスタッフの神経も考え物だ。いくら、ここだけの話と言われても、あのような経験を人に話さないはずがない。

 

そのビジネスホテルは今はもうつぶれている。

 

彼女が聞いたという声、生霊の一種なのだろうか。

 

一家心中の子供は生きているのに、この部屋には、歌声だけが、生きているように取り残されている。子供は、その夜のことを毎日、思い出し、両親が死んでしまったことを悲しんでいるのだろうか。

 

今は、そのビジネスホテルは廃墟となっている。しかし、あの部屋だけには、か細い歌声だけが、漂い続けているのだろうか。